命の灯

人は自分とのかかわりのない人の死を悼まない。
それは、他人のことまで悲しめるほど、心に余裕もなければ、人の死を悲しめるほど心は器用ではないということだ。
年間自殺者、27283人(「平成25年度 内閣府 自殺の統計」より)。
平均して、一日に約75人が死んでいくこの時代に、赤の他人の死を悼む余裕はないのだ。
悲しんでいれば心が押しつぶされてしまうから。
それは人間が無意識に得た、精神を守るための手段なのだ。
最近はそうともいえなくなってきたが、少なくとも少し前まではそれが当たり前だった。
だんだんと近づいてくる明かりを見ながらふと、そんなことを思っていた。
目を閉じる。
暗い、ぼんやりとした中にかすかな明かりが見えてきた。

「え、本当ですか!」
『はい。後日、ご自宅に採用通知書が届くと思いますので、その説明書きにしたがってください。』
「ありがとうございます!!」
電話の電源を切ると何とも言えない感情が湧き上がってきた。
大学を卒業してから早6年。
同僚たちは皆、就職を難なくこなし、企業に勤めていった。
しかし、大学在学中に何十社何百社受けようと、合格通知が俺の手元に届くことはなかった。
ようやく手にした合格通知。
俺はすぐに、親へ連絡した。
「よかったな。」
返ってきたのはそんなそっけない返答だった。
だが、そんなことはどうでもいい。
4月から始まる社会人としての生活に心がときめいた。
電話の通り、すぐに合格通知が届いた。
その中に入っていた手紙をよく読んで、手紙を送り返した。
1週間以内にと大学の就活時に言われていたのですぐに返した。
すこし、ほこりのかぶったスーツを眺めると、ようやくこれが着れるのかという気持ちになった。
だが、予想していたよりも社会人はつらかった。
連日の残業、終わらない仕事、上司や同僚などの視線。
やはり、30代未経験の俺は蔑んだ目で見られてしまう。
だから人一倍頑張った。
外回りも、会社内の仕事も、上司との付き合いも。
ようやく手にした初任給で親にプレゼントを贈った。
それでも、人の評価はなかなか変わらなかった。
一年がたつと、後輩もでき始める。
しかし、入ってくる後輩たちは皆、俺よりも遥かに優秀だった。
大学を卒業して6年も定まらなかった俺よりも新しく入ってきた新人の方が仕事もでき、愛想もよかった。
負けてたまるか。
俺はさらに頑張った。
だんだんと、実績を積んで会社内でもそこそこの地位に就くことができたのは30代後半。
俺は一つのプロジェクトを任された。
「え・・・。これを私がやるんですか?」
「いやなのかね?」
「いえ、そんな。ただ、私よりも適任者は他にいると思っただけです。」
「君に任せてみようと思っただけだ。会社に入ってから頑張っているからね。まぁ君ぐらいの年の人は誰でも経験している。気張らずに頑張りたまえ。」
「はい。」
そのプロジェクトというのが、健康食品の開発だった。
近年、特定保健用食品が流行。
お茶や、コーラなど飲み物など、”トクホの”というのはCMなどでよく聞く。
そのトクホをわが社でも開発しようというプロジェクトだった。
初の大役。
意気込みもすごかった。
メンバーを集めて、協議。
決まったのはビスケットなどお菓子で作ってみようということになった。
さっそく、この案をまとめて、開発部へもっていく。
開発部からはどのように実現するかを明確に決めてほしいということだった。
専門知識のなさが課題だったので、開発部から何人か引き連れて、再度会議を行った。
そして、きまったのはカルシウムを摂取でき、食物繊維でおなかの調子を整えるビスケットということに決まった。
この時点でわずかながらの手ごたえを感じていた。
開発部が頑張ってくれたこともあり、無事に完成。
ようやく発売に至った。
結果を見なければ断言はできないが、そこそこの成功を収めたと思う。
その達成感の中、電車で帰宅している時だった。
がたんと電車が揺れた。
「おっと・・・」
急いで、吊り革をつかんでいる手に力を入れ、何とかこらえる。
すこし油断というか、気が抜けていたみたいだ。
家に帰ったらゆっくり休もう。
温かい風呂が恋しかった。
ふと、手を思い切りつかまれ、上にあげられる。
何事かとおもい見てみると、女子高生だろうか若い女の子が俺の手をつかんでいた。
その眼にはわずかに涙がたまっていて、顔は恐怖と怒りでくしゃくしゃになっていた。
そして、大声で言い放った。
「この人、痴漢です!!」
「はぁ!?」
その後、俺は周りにいた男数名につかまれ、駅員に引き渡された。
「だから!俺はやってないって!!」
「でも、彼女はそう証言しているんだけど?」
「何かの間違いだよ!手には鞄を持ってたし、もう片方の手は吊り革をつかんでたんだぞ!!」
「でもね。あの子は絶対に君だといっているんだ。」
「だから・・・っ!!」
「すみません。警察です。」
「ああ、彼です。」
「はぁ?警察だって!?」
「詳しくは署で話を聞くよ。」
「ちょっと待ってくれって!俺は何もしていないんだ!!」
その俺の叫びむなしく、俺は警察に捕まった。
尋問では俺がやったことが前提で話が進んでいった。
もう、何を言っても無駄だった。
痴漢は冤罪が多いといわれている。
物的証拠も証言もあいまいで、確実なものはすくないからだ。
だから被害者の証言が一番の有力な情報として扱われる。
その被害者が犯人は俺だといっているのだ。
もう、何を言っても無駄だった。
その後、俺は留置所に入れられ、裁判を待つことになった。
裁判の結果は有罪。
多額の示談金を支払うことで終わった。
そう、すべてが終わった。
自宅に届いた懲戒免職の通知。
周りの視線。
親からの電話。
もうすべてが終わっていた。
何をするでもなく、ただ自堕落に過ぎる毎日。
コンビニに行くたびに目にする俺が開発にかかわった商品。
もう、うんざりだった。
ふらっと、行先も決めずに歩く。
前科持ちはなかなか就職が決まらない。
あの地獄をもう一度、味わいたくはなかった。
気が付くと、駅のホームに来ていた。
あの、駅のホームに。
ふと、あの女の子が目に入った。
一人じゃなく、友達何人かと。
さすがに痴漢にあったから一人じゃ乗れなくなったのか、それとも友達がついてきてくれているのか。
そんなことはどうでもよかった。
ふらっと、ホームの端に立つ。
だんだんと近づいてくる明りが見えた。
目を閉じる。
そして、一歩踏み出した。

「ただいま、人身事故の影響により、運転を見合わせております。皆様にご迷惑をおかけして申し訳ありません。」
「うわっ、まじかよ。」
「帰れねぇじゃん。最悪。」
「ほんと、人のこと考えてよね・・・」
今日も世界は、何事もなく動き続ける。

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