記憶

これは私の幼いことの記憶だ。

とある古い公園には一本のご神木があった。公園といっても神社に併設された本当に小さな公園だ。私は小さいころ、そこでよく遊んでいた。田舎だったからゲームや週ごとに出るマンガなどは小さい頃、手に入りにくかった。そのため、公園で遊ぶしかなくなってくる。

その日も、私は公園で友達と遊ぶ約束をしていた。だが、いくら待てども友達は誰一人として来ない。あとからわかったのだが、友達はすでに帰った後だったらしい。原因は集合時間の勘違いだった。そんなことなど、露知らない私は一向に現れない友達に苛立ちを覚えていた。もう1時間近く待っている。

日が傾くまで時間がある。私は一人、もってきていたサッカーボールを蹴り始めた。幼い子供の力などたかが知れていて、思い切りけってもフェンスが揺れはするもののへこみはしない程度の力で蹴っていた。

それと同じだけ、走る速度もまた小さかった。たまたま蹴ったボールが奥の方に転がってしまった。慌てて追いかけても、ボールはどんどん奥の方へといってしまう。

突然、ボールを拾う女性が現れたのだ。その女性はサッカーボールを拾うと、私に手渡して一緒に遊ぼうと提案してきた。

友達がくるまでと私はそういったのをはっきりと覚えている。その言葉を聞くと女性は嬉しそうな顔をした。そこから日が沈むまで、サッカーボールで遊んだ。

帰り際、女性は私に、“なにか”を手渡した。その何かをどれだけ思い出そうとしても思い出せない。ただ、何かをもらったことはよく覚えている。そもそも、私はその女性の顔をはっきりと思い出せない。

自宅に帰った私は嬉々としてその話を母にした覚えがある。だが、その話を聞く母の顔は暗いままだった。まだ幼かった私はそんなことを悟ることはできなかった。

それから数年が立ち、ご神木が切り倒されることになった。理由は知らない。だけど、その時の私はあの女性に会えなくなるのだろうと、不思議にも理解していた。

工事が終わってから、公園に行ってみると、確かに公園は広くなり、遊具も増えていた。だが、なぜか無性に寂しい気持ちになったのは確かだ。よく考えてみると、あの女性に見守られていたのかもしれない。

そして、大人になってから私は知ったことがある。だからこうして今ここに記しているのだが、実はあのご神木は遥か昔、辻斬りにあった女性が夜な夜な化けてでるという話が出て、鎮魂のために植えた木だったらしい。そして、それをしなければいけなくなったのは、その噂が有名になってから子供がいなくなるという事件がよく起きたからだというのだ。

もしかすると、あの女性はその女性だったのかもしれない。母はこの言い伝えを知っていたらしいが、私には黙っていたらしい。だが、あの時あった女性の雰囲気は優しかった。

もしかすると、私はもらった“何か”を思い出さなくてはいけないところまで来ているのではないかと思う。そうでなければ、今、私の後ろにその女性がいるがはずないのだから。